WEB・グラフィック・映像 デザイン事務所/アイプラッド

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社長BLOG「販促気風」

名古屋 ホームページ制作

東海地方の商圏において、

ホームページ制作業者を

探しているかたが

検索する言葉で一番多いのは、

名古屋 ホームページ制作」だろう。

この検索ワードはウェブのプロが

血眼で上位を争っているはずだ。

そんな中、本日、

何気なくGoogle検索してみると、

120万件の検索結果の中で

弊社が一番に掲載されていた。

いわゆるグーグルトップ。

正直うれしかった。

変動激しいグーグルのこと、

おそらく瞬間的なことなので

記念に画像に残しておいた。

末っ子の娘の保育園卒園のこの日に

一番のプレゼントをいただいたのは

親である私かもしれない。

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依存

人は何かに頼って生きている。

漁師に魚を捕ってもらったり、

コンビニのおねえちゃんに

お菓子わけてもらったりもそうだ。

もらった方は当然その対価を支払う。

お金、愛、品物、あるいはその複合形。

そのバランスは完全なるものなのだ。

その天秤が少しでもどちらかに片寄ると

それは依存になる。

そこに甘んじてばかりいると 

後で高い対価を支払うことになる。

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四芸祭実行委員会’88

このBLOGでも紹介したミラノ在住のピアニスト、

黒田亜樹>>出演のNECガラコンサート>>

私も応援したこともあり、聴きに行った。

それはそれは力強く、豊かな表現力で

とりを務めるのにふさわしい、

素晴らしい演奏だった。

彼女と知り合ったのはまだ学生の頃。

四芸祭>>という、国公立の4つの

芸術系大学の交流的祭典があり、

彼女は東京芸大、

私は金沢美大の実行委員だった。

当時の実行委員は皆仲がよく、

全員が意気投合するのに

そう時間はかからなかった。

40才を超えた今でも、

20才そこそこの青春時代の

甘酸っぱくも懐かしい思い出を

共有しているいい仲間だ。

私の連れ合いも愛知芸大の四芸委員で

出会いはここであった。

で、亜樹の来日ついでに 

1988年の四芸委員が20年ぶりに集結した。

大人になった四芸委員は 

それぞれ各方面で活躍していて、

デザイナー、音楽家、大学の先生、

舞踊家、建築家など、有名人も多い。

知る人ぞ知るミュージシャン、

クライズラー&カンパニー>>のメンバーや

Gークレフ>>のメンバーも来て、

やあやあ久しぶりの大どんちゃん騒ぎ。

タイムマシンにでも乗ったかのように

当時の記憶がよみがえってきて

 本当に楽しい時間を過ごすことができた。

昔の仲間は素晴らしい。

帰国してくれた亜樹、ありがとう。

みんなを集めてくれた夕季、ありがとう。

そして皆さん、ありがとう。

また会いましょう。

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客対応だけで感動できるお店は確かに実在した

 クライアントのご依頼で

弊社がデザインしたポスターの

 簡易額縁を探して

それこそありとあらゆる画材屋さんに

電話しまくっていた。

B0(Bゼロ)というタテ1.5メートルくらいの

特別大きなそのポスターが入る

額縁はどこを探してもなかった。

「はい○○画材です。」

「B0の額縁ありませんか?」

「ありません。」

そんな応酬が続いて辟易していた矢先、

タケガという画材額縁屋さんは違った。

「額縁はありませんが、

展示会に使うようでしたらパネルに張って

これこれこうやって展示したら

十分見栄えのするものになりますよ。」

「じゃあ今から行きます。」

電話でのナイスなアドバイスに

すんなり話がまとまった。

6時半閉店のその店は

7時に商品を用意して

外で私を待っていてくれた。

そして頼んでもいないのに

奥から社長とおぼしき

初老の紳士が出てきて

10分くらいのパネル張り方レクチャーが

勝手に始まった。

帰るときも積み込みを手伝ってくれ、

見えなくなるまで二人で見送ってくれた。

電話して、行って、帰るまでの

その短い間に

一見さんの私に対する心遣いが

全ての言葉尻に感じられた。

完璧な接客だ。

品揃えが特別なわけでもない、

安売りを売りにしているわけでもない、 

特別なあなた様にどうのこうのといった

しゃちほこばったへりくだりもない、

どこにでもある普通の画材屋だ。

ただ、そこの奥様は魔女だったのです。

少々疲れ気味だった私の心が一瞬にして

十分すぎるほどのオアシスとなった。

もう私はそこでしか画材を買わないだろう。

かかってきた電話一本だけで縁を紡ぐ。

勉強になりました。

接客ってマニュアルじゃないんだよね。

タケガさん、ありがとうございました。

このお店を教えていただいた

アケボノアートワークスの岡島社長、

ありがとうございました。

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マンネリの魔力

前回の記事、「意外性の魔力」続編。

意外性は慣性を欲する。

いったん動き出した感情の動きは

ちょっとしたことでは止まらない。

繰り返せば繰り返すほど

その魔力にとりつかれるのだ。

たとえば吉本新喜劇がすごいのは

「普通こんなこと言わんやろ」

という意外なことを平然と言ってのけ

笑いを生み出した後、

それを繰り返すことにより

さらなる笑いを生むことだ。

マンネリのチカラは

意外性という衝撃を

人々の心の深いところに定着させる、

一種の麻薬のようなものなのである。

ロート製薬と聞くと

大概の40才以上のかたは

ロート、ロート、ロート~♪

と頭の中を歌が駆け巡るのは

そのためなのだ。

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意外性の魔力

たまに気の利いたことを言うと

下玉ちゃんって、意外に博学ねえ・・とか、

下玉利さんを見る目が変わりました・・

などということを仰せになる御仁がある。

今まで私のことをどんな風に思っていたのか

問い詰めたい。

小一時間問い詰めたい・・・。

というのは冗談で、

私はいつも最大限の褒め言葉として

受け止めている。

意外性は当たり前のことよりも

相手の心にずっしり重量感のある記憶として

残ることを私は知っているからだ。

女子高生の社長とか、

パンクロックを大音量で聴く爺さんとか、

やはり意外性には魔力があるのである。

販売促進も然り。

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起業に必要なもの

それは「お客さま」と

「お客さまを探す糸口」である。

高い理想・信念、

高い技術・サービスなどは

あって当たり前の話で

お客さまなしには

二束三文の値打ちにもならない。

電源の入っていない

冷蔵庫のようなものだ。

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モノのチカラ

娘の小学校入学式に着る服は

私の両親が見立て、購入した。

孫のために何かしてやりたかったのだろう。

新しいフォーマルの服を試着した娘は上機嫌。

それを見る爺婆、目を細めて上機嫌。

さらにそんな二人を見て連れ合い上機嫌。

みんなが上機嫌で私も上機嫌。

なんでもないたった一着の洋服にも

買う人のドラマがあり、

気持ちの動きがある。

そんな物語を提供できるような

モノづくりをしていきたい。

物売りは決して商品を売るだけが

仕事ではないはずだから。

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親子飲食店流浪顛末記

連れ合い外出のため、

息子と娘を連れて外食。

娘希望のうどん店、

入ったはいいが

息子はうどんを食べたくない様子。

俺はラーメンが食べたかったと

うどん屋店員の前でべそをかく。

そんなこともっと早く言え。

後でラーメン屋に連れていくから

とりあえずなんか食って待ってろよと

おにぎり2個注文。

すると娘は私もラーメンがいいと

言い出す始末。

最初からうどん屋なんて言うな。

結局うどん屋では家族三人で

うどん一杯とおにぎりだけの注文内容。

店員の目からみると 

一杯のかけそばのごとく

かわいそうな家族だったことだろう。

場面は変わってラーメン屋。

息子と娘は大はしゃぎ。

早速ラーメン注文。

の前に絵本熟読。

さっさと頼め。

私は子供だけにラーメンを

食べさせて私は何も注文しないと

またかわいそうな家族になるので

無理してラーメンと酢豚を注文。

あと、ライス中ね。

って、どれだけ食べるのか。

最初に食べたおにぎりが効いたのか、

子供たちは半分も食べないうちに

父ちゃん、もう食えない。などとほざく。

おまえら、初志貫徹って言う言葉知ってるか?

小一時間説教を食らいながらの

本当は残したいラーメンの味は

どんなものだったろう。

ほら、お父ちゃんは

頼んだモンは全部たべるやろ?

そんなわけで、

腹が一杯で未だに寝ることができないのである。

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論語読ミノ論語知ラズ

論語という難しい書物を読み、

人々に教えるくらいの人であっても

枝葉ばかりにこだわり、 

その神髄を理解してない人のことを言う。

たとえば僧侶が万引きしたり、

コミュニケーション論とかの

本を書いている人が場の空気読めなかったり、

美大出たのに絵が下手な人もいる。

あ、それは私か・・。

兎に角、物事の本質を

ちゃんと捉え、実践していけば

それがどのような道であっても

全ての道に通じるのではないかと

思った次第なのである。 

論語でいうところの徳と中庸、

素直に身につけたい今日この頃。

■徳とは、仁義礼知信

仁・人を思いやる心

義・正義を貫く心

礼・礼を尽くす心

知・知恵を磨く心

信・人を信じる心

そしてその全ての根底にあるのが「仁」

■中庸、これは説明が難しいのだが、

自分の周りのもの全てを受け入れ、許し、認め、

怒りもせずさせず、溺愛もせずさせず

依存もせずさせず、欲望もそこそこに、

人に尽くしながらそれに囚われるようなことにもならない。

堂々と淡々と素直に普通に道の真ん中を歩く。

そんなことが中庸と言うことだと思っている。

ああ、私はまだ長い道のりだなあ。

41才の春。

ようやくバカボンのパパと同じ歳になりました。

ただ不惑はいまだ板につかず。

これでいいのだ。

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